天気が良かったので、散歩がてら三富開拓地割遺跡を訪ねてみました。 ※ここから約2.5kmに渡ってケヤキ並木が続きます。歩いたのは「ケヤキ並木通り」と呼ばれる長さ約2.5kmの並木道で、南の端からスタートしました。 この通りは、「埼玉県ふるさとの並木道」にも選定されていますが、そもそもは並木道として整備されたものではなく、偶然の産物だったそうです。 ※1980年(昭和55年)に246本のケヤキが三芳町上富通りふるさとの並木道に指定されているとのことです。かつて、三富地区の開拓に際して開かれた六間道(幅約11mの道)には、開拓農民たちの住居が並び、屋敷林としてケヤキが植えられていました。 各住居の屋敷林が連なって通り沿いに立ち並んでいる様子が、まるで並木道のようになり、現在の「ケヤキ並木通り」と呼ばれるにいたっています。 歩き始めてすぐに「庚申塔」があります。庚申信仰は、遠く奈良時代のころに大陸より伝えられた道教に基づく信仰で、「庚申塔」はその信仰の証として建立されたものだそうです。 なお、このような信仰を仲立ちとした集まりのことを「講」といいます。 江戸時代には、仲間が自由に集まって酒食に興じることが厳しく制限されていたため、村人の集まりである「庚申講」が各地で盛んに行われたそうです。 その後、並木道からちょっと外れて関越自動車道を跨ぐように掛かるやや高みにある陸橋の上から三富地割の景観を眺めてみました。しかし、地割の構図はよく分からず、たんに畑が広がって見えるだけでした。。。 再び並木道に戻ってしばらく行くと、「大石灯籠」が右側に見えてきます。 というか、「大石灯籠」は囲われていて“先端部分がちょこっとだけ見えています”といった方が正しいかも・・・。この灯籠は、当時の余った税を利用して農作物の神様を祀るために1833年(天保3年閏-4年)に造立されたそうで、道しるべの役割も果たしていたそうです・・・、現在はろくに見えませんが・・・(^_^; 再び並木道を歩きだし、「旧島田家住宅」のすぐ手前で見逃してしまいそうなくらいさりげなく祀られているのが「いぼとり地蔵」。 よく見ると、お地蔵さまはいぼどころか顔まで削り取られそうになっています。「旧島田家住宅」(9月25日分に記載)を横目にしながら並木道を進むと、重厚な長屋門が目に入ります。 これは開拓名主だった島田家のもので、長屋門は江戸時代には武家の屋敷に使われ、農民の場合には許された一部の者しか使うことができなかったそうです。 島田家の格式の高さがうかがえるエピソードですね。 このあとも、もう少しだけケヤキ並木は続くのですが、もうすぐお昼だったので今回はここで家へ帰ることにしました。
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